前回のBlog で条件がそろった時にのみ、自生レンゲは出現する‥とレポートしましたが、今年はどうやら当たり年のようです。こちらをご覧ください。

これ、ぜーーーんぶ レンゲ!




2013年に「タネを蒔いていないのに勝手にレンゲが生えてきた」のニュース以来、すっかり姿を消していたレンゲソウですが、どうやらまた自然栽培の田んぼに戻ってきたようです。わーい お帰りなさいレンゲ~~~!\(^o^)/

どこがうちの自然栽培の田んぼなのか、一目瞭然。レンゲをさがせば当会の看板が立っています(^^)

理事長の高橋が、レンゲを抜いてみました。長さを測ってみましょう。



ナント!130cm もありました。
普通のレンゲはこんなに長くないんです。どんだけ地力のある田んぼなのでしょう!
肥料をやらなくても、ちゃんと自然界の循環の中で、必要なときに、必要な分だけ、こうして必要なものが自生するんですね。
レンゲはその指標なのかも知れません。
昔の人はそのことをちゃんとわかっていたのでしょう。
このレンゲは枯れてから耕起を行います。枯れないうちに耕してすき込んでしまうと、緑肥としての扱いになり、それはどちらかというと有機栽培になるので、自然栽培ではすき込まないよう指導しています。
人為によって葉っぱが緑色のうちにすき込むと、窒素分は急激に上昇します。
枯れたものも、レンゲが咲かない年に比べて窒素分は田んぼへ確かに多めに供給されますが、その効果はゆるやかで長く続き、苗や周辺に集まる微生物群、植物相、動物相への影響は大変やさしいのです。
人が無理やり施したものは自然界は嫌がりますが、自ら受け容れたものなら大丈夫‥というわけなんですね。
木村秋則さんが作物を扱うときの所作は大変やさしく丁寧で、作物が嫌がっているか、嫌がっていないかを気づかう様子がありますが、自然界の循環のじゃまをしないデリカシーを持つことは、自然栽培の根幹だといえます。
善かれと思ってする “思いやり” も、相手が受け容れてくれるからこそ成り立つものであって、成立しないのはただの “お節介” “ありがた迷惑” になってしまいます。
ある人にはうまく行ったのに、別の人には迷惑がられた‥という場合もあり、それはシチュエーションによって変わります。思いやりとは、相対的であり、一方的ではなく双方向の行き来があってこそ、成り立つんですね。
対人だけでなく、対作物、対生きもの、‥いろいろな場面で、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。
ちなみに、木村さんは「あんまりレンゲが生えすぎる田んぼは、ザル田(ザルのように水が抜けてしまう)になるからね」とポツリとおっしゃったことがあります。
「いやぁ、高橋さんがあんまりレンゲ、レンゲ、って喜ぶから、言っちゃ悪いかなと思って言わなかったんだよ(;^_^A 」
・・こんなところにも、相手を気づかう木村さんの姿勢がわかりますね。木村さんは、自分で気づくのをジィッと待つときも多いのです。「自然栽培を知ると、自分の生き方も振り返ることができる・・いや、振り返らざるを得ないんよ。そうしないと自然栽培は理解できん」と多くの自然栽培農家さんが言っています。
そんな今年の木村式自然栽培の田んぼ、どんなお米ができるか楽しみです!