ー肥料も農薬も水もやらないで、本当に桃はできるのか?ー
岡山県西南部にある笠岡市。
笠岡市は瀬戸内海沿岸の港町で、笠岡湾干拓地と天然記念物カブトガニの生息地として有名です。平坦な土地が少ないため、平地を確保するために古く江戸時代より「水と土地を求めて」大規模な干拓を繰り返してきた歴史があります。平成2年には広大な笠岡湾干拓地が完成し、大規模機械化農業の基地として期待されています。
「自然栽培の桃」が育つほ場は、この笠岡市にあります。岡山県は、果物王国としても知られていますが、岡山が「桃太郎」伝説の発祥の地としているためか、桃は特に岡山県の象徴的存在で、桃の花は県の花にも指定されいます。
さあ、「奇跡の桃」に挑戦してみよう!と行動に出た勇敢な桃の生産者さんと、桃の木をご紹介していきましょう。
ご紹介します!
この方が自然栽培の桃づくりに挑戦している、
勇敢な難波ワン君でs… じゃなくて!(笑)
こちらが生産者「なんば桃園」の難波朋裕さんです。
難波さんは、ご家族と数人のパートさん達と一緒に、広大なほ場で、桃を慣行栽培で作っていらっしゃいました。
ここでも当会の理事長高橋が、木村秋則さんとのキューピッド役を務めました。木村さんの講演会へ難波さんをお誘いしたのです。
やはり最初は難波さんも半信半疑だったとのこと。
桃もリンゴと同じように農薬や肥料で長年栽培してきて、それが常識だったからです。講演会後、難波さんは木村さんと直接お話をされたのですが木村さんから「桃はね、リンゴより簡単にできるから!」と言われたそうです。
難波さんは、その言葉に衝撃が走ったといいます。桃農家としてのプライドに、火が点いたのかも知れません。
その一言が、難波さんを「奇跡の桃」づくりの道へ歩ませるきっかけとなりました。
難波さんは現在、木村さんの指導を受けながら、少しずつ桃本来の、自然の形に近づけるような栽培に転換中です。そうすることで、桃が気持ちよく育つようになり、農薬も肥料も、水でさえも、何もやらなくても、自分の力だけでしっかりと育つようになってきます。木村さん流でいえば「桃のお手伝い係」をするわけですね。
草についても、生やしておく時期と短く刈る時期とがあるのですが、木のご機嫌を伺いながら進めていきます。難波さんのほ場の土の中には今、ようやく放線菌という微生物の姿が現れるようになってきました。放線菌は、植物が育つために必要な窒素を固定する働きがあります。土壌の状態がよくなっているサインなのです。
ですがまだ安定していないので、虫や病気に罹りやすく、なんば桃園の皆さんは、虫は手で捕り、病気のサインを見逃さないように見回り、まるで我が子を見守るように木に語りかけ、辛抱強く木と対峙しています。
桃の木の足元に、タンポポの花が咲いていました。
「山のタンポポとうちのタンポポが同じ大きさに なったら、きっとリンゴが実るから…!」奥様にそうおっしゃったという、木村さんファンなら誰しもご存知の、木村さんちのエピソード。
なんば桃園さんちのタンポポもどうなっていくでしょうか。
とても楽しみですね。みんなで見守り、応援してまいりましょう。